転換と交代の激しく流動する現代の市街に生まれた造形が、不毛の荒野の中に作られたモニュマンのように千年の歴史に耐えて生き、パルテノンの丘の神殿のように、ジャムナ河の流れに沿ったタージ・マハルほどにその命を保つことはできないかも知れない。だが、永劫に対してはすべての実在は無常の刹那ではないか。 それなら造形がひとつの完成を得た時、それが終わってもよい。ひとつの時は永遠の光輝を語ることばを放つ。それを聞き得た喜びも不死である。